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2022年1月22日土曜日

時計の値段に関わるひとつの考察

時計は高価で換金性も比較的高い物であるため「時計とお金」の関わりはよく議論されます。そしてそれが盛り上がったり炎上したり…。私はそういった資産の観点から見た価値からは距離を取っているのですが、かといって価格に無頓着な訳ではありません。
簡単に言ってしまうと、どれぐらいの値段になってくると付き合いきれなくなったと感じるか?について考察してみます。



☆本日の時計

・IWC Ref.1419 Cal.402




○どう考えても異常だと思う自分の趣味


 どんな言い訳をしようが、自分の時計趣味は「異常」ですよ。1本あれば十分な、TPOに合わせると考えて大いに譲って5本も有れば十分な時計を買いまくり、次に欲しい時計を常に考える訳です。
 程度に関わらず、異常と言わずなんという…。


 しかし、趣味とはたいていそんなものでもあります。ネットですぐ買えるセーターを何日もかけて編むことだって、見方を変えれば「時間の無駄」と見えるかもしれませんが、それは暴論でしょう。



○いくらぐらいまでは許容できる?


 金無垢の時計や超絶複雑時計など、価格が上がる要因はいくらでもあります。なので、コストパフォーマンスを基準に考えると5万円でも高く感じる時計から、1000万円でもコストパフォーマンスに優れる時計が存在することになります。
 一方で収入は限られています。いくらコストパフォーマンスに優れているからと言っても、年収500万円の人に1000万円の時計は高価すぎるでしょう。



 なので、非常に乱暴ですが、単純な価格で検討してみることにします。

 結論から言うと、自分は100万円がひとつの区切りだと感じています。現在の自分の感覚と収入から決まっていると感じています。


 ここには、時計から得られるものの価値が影響しています。車は100万円より大幅に高価ですが得られる利便性が大きいので、高すぎるとは感じません。


 時計は、基本は時間を知るための物ですから、利便性を考えれば安い物も高い物もそれほど変わりません。コンプリケーションは様々な機能がありますが、私が好むのは普通の三針だとなおさらですね。
 そこから考えると、高い時計は必要ないとの結論になってしまいます。
 それだと味気ないので、やはり楽しいから、手にすると嬉しさを感じるから時計を求めるわけです。

 その楽しさの源泉は「デザインが格好良い」「機械の仕組みが優れている」「時計全体の作りが優れている」「作り手の熱い気持ちが伝わってくる」「ブランドの歴史を感じ取ることができる」「モデルの歴史を体験できる」「ブランドのメンバーの一員になれる」といったところでしょうか? 人によっては「ステータスシンボルとして周囲の人にアピールできる」ことも重要でしょう。

 私の場合は、機械の仕組みと優れた仕上げ、それを作った人の思い、モデルの歴史を感じることが主な楽しみですね。このあたりは人によってバランスが変わると思われます。


 それらの楽しさを値段と見比べて、買おう!と決断できるだけの魅力があるか否か、を判断するわけです。ですから、時計の価値、仕上げや歴史、機械の仕組みの価値を理解すればするほど、得られる楽しさが大きくなって、高価な時計も「買う!」と考えるようになる、という仕組みだと私は考えています。


 一方で、収入にはその人なりに限度があります。

 極端なことを言えば、ぎりぎり一杯な人が、時計を買うのを辞めて生活を便利にするものを買ったり、家族とレジャーを楽しむ方がより大きな喜びを得られるかもしれないわけです。
 逆に、唸るほどお金がある人は、それらは十分に満ちていて、時計を買えば買うほど、得られる楽しさが積み重なって幸せが増える場合もあるかもしれません。相当な場合に限られるでしょうが…。時計の楽しさを大きく評価するならば、収入の割に時計の支出を大きくするのもアリだと考えるかもしれません。



 こういったことを統合して私のことを考えると、日本の平均年収より上ではあるが、決して高額な収入を得ていない36歳男性では、多少頑張って買う範囲では100万円がひとつの区切りかなぁと感じています。それ以上は、渾身の、例えばドレスシーン用として一生付き合うつもりで100万円からそれ以上の時計を狙うようなイメージになるのかな?と考えています。


 先に書いたように、これは収入や自分の考えによって大きく影響されます。ですから、私がこれからさらに時計にのめり込んで他の趣味は辞めて集中したり、収入が大幅に増えれば、区切りとなる金額は上がっていくことでしょう。
 逆に家庭環境が変わったり、家を買って余裕がなくなるなどしてくれば、その区切りは下がってくるかもしれません。



○「物」だけに魅力を求めるのか?


 さてここで、少し違う話をしましょう。

 私は最近、時計を買うのに重要なこととして、人との関わりを感じています。
 自分が信頼する人がお勧めしてくれたり、整備した時計を買うことや、繋がりのある人から買う、といったことですね。場合によっては、尊敬する人が作った時計を買う、ということもありえるかもしれません。

 これが、付き合いとか、しがらみになりかねないから怖いのですが、幸いなことに今のところはありがたい人間関係となっております。

 こういった人間関係は作りだすのが難しいです。意図して作るというより、偶発的にできるのが普通かもしれませんね。だからこそ、そこで何かの縁に関わる時計が出てきたら、それを大切にしたいと感じるわけです。



○時計の価値が価格で決まるわけではない


 時計とお金は結び付けられやすいものです。

 人が気に入っている時計を「安い時計だ」と言い放ったり、資産価値が低い時計を買うのをバカにしたり、信じられないような言動があるようです。というか、探せば出てきます。幸いなことに、自分がTwitterでフォローしている範囲では見かけないので遠い世界の話のようですが(笑)

 仮に、資産価値がゴリゴリにある、例えば超高騰しているデイトナを身に着けていたとしてもですね、どーせ着用している時計なんて誰も見てないですし、気が付かれたとしても、その人に着目したのではなくて時計に着目しただけで、何も良いことなんてないですよ、と安い時計しか持っていない私は思います。


 誰も見ていないのであれば、機械だろうが、仕上げだろうが、デザインだろうが、自分が「よし!これ着けてれば大丈夫!」と思えるお守りになる時計があれば最高だと思いますよ。
 そのお守りになるために必要な要素が、デザインなのか、ブランドなのか、機械や仕上げなのか、人の縁なのか、どれなのか?というだけだと私は感じています。


 思い入れを持てないものだと、そういったお守りににはなれない訳で、悲しいことに目が肥えてくると「いや、ここはこうなんだよなぁ」とか「どうせなら、機械はこっちの方が良い」とか考えだして、気が付いたら予算が倍になっていて、結果的に高い買い物をせざるを得なくなる、というのが、高価な時計を選ぶことの純粋なキッカケではないか?と思います。そのこだわりと、自分の出せる金額が拮抗するところが、ひとつの基準になるのではないか?と考えています。


コーヒーカップも同じで、適当に選んだものではなく、100円ショップの物でも入念に選んだカップ&ソーサーでコーヒーを楽しめば、同じコーヒーだって美味しく感じます。それと時計は同じだと思います。