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2020年4月10日金曜日

残るものを扱う自覚[あるいはネット上での悲しき別れ]

 以前よく見ていたサイトに久しぶりにアクセスしてみたら、運営者の方の訃報を知ることとなりました。新年度早々の話題にしては重いですが、こんなブログですが形として残るものを扱っていることについて、すこし考えてみました。

自分に、もしものことがあった場合、大事にしてくれる人へと引き継ぎたいと思う、オイスタープレシジョンを巻いて考えました。



☆本日の時計

・Rolex オイスタープレシジョン




〇ネット上での寂しい別れもある



 インターネットは、距離的な障壁を超えて多くの方と知り合うことができる素晴らしいツールです。一方で、出会いもあれば別れもあります。
 とあるバイク系のブログを運営されている方が、もう1年近く更新が無く、しかも更新が止まる前に大病を患われている報告があり心配しておりました。先ほど久しぶりに訪問してみたところ、最新記事に複数のコメントが…。コメントを読むと運営者が昨年夏に亡くなられていたそうです。

 別に顔を合わせたことも、コメントのやり取りすらしたことが無い方でしたが、とても悲しく感じた次第です。


 趣味趣向や興味の対象が変わると巡回するサイトも変わってゆきます。数年前まで毎日チェックしていたサイトだって、今では名前すら思い出せないことなんてあります。私はTwitterデビューによって『ネットの起点がSNSから』と変化し、余計に『巡回するサイト』から遠ざかってしまっています。

 何か思い出してアクセスしてみた時に、まだ元気に更新されているのを見ると、私は同級生にバッタリ会ったような懐かしさを覚えます。

 そういえば、大学時代に少し覗いていたカワイイ絵柄の絵師さんのブログが全く更新されなくなり、ちょっと寂しく思っていたところ、Twitterのリンクが貼られているのに気が付いて見てみたら、さらに上手くなって、絵のお仕事もされるようになって活躍しており、非常に嬉しく思った事がありました。

 再会できればよいですが、そうでない場合も多く、ネット上では行方知れずというパターンは多いです。(単純に、結婚して自分の時間が無くなって…などという事が多そうですが) 今回は最悪のパターンでした。



 そのバイクブログの運営者さんは、ブログ更新が止まった後は、Twitter上にて読者の方々と病床からやり取りをされていて、元気をもらっていたという親族からのコメントがありました。ある意味で、その人のこれまでの活動が最後の最後に自身の力に変換されていったのかなぁ?などと思って見ておりました。



〇形として残るもの


 その方のブログはまだ残っていて閲覧できます。その人は真摯に取り組んでおられたから読者も増えたと思いますし、第三者から見て恥ずかしくない物を残されたな…と私は思います。たとえそれが日々のくだらない話が主だったとしても、少しでも役に立つ情報を残せるって、素晴らしいと思います。



 私のブログに関して、自画自賛ではありますが、現在のところは少なくとも4Rとかの操作方法の解説記事とかは役に立っているのではないか?と思っています。しかし今後、どこかで踏み外してアクセス数や承認欲求にに目がくらんで、よからぬことをするかもしれません。
 自分が突然更新できなくなった時に、このブログは保存されて第三者の目に触れる状態が続いたとして、悔いが残るような記事は書かないように心がけなければなぁと再認識しました。



〇残り、受け継がれるべきもの


 私の手持ちの物で、他の人に受け継がれそうな価値がある物(金銭面や、一般に認められた貴重性や欲しいと思われる度合いの高い物)を考えると、時計、特にオイスタープレシジョンやヨットマスター、GS、程度の良い国産ヴィンテージがそれにあたると思われます。時計以外だと、う~ん、ファイヤーキングのヴィンテージと、イームズのシェルチェアぐらいでしょうか?

 手元にある『物』は自分がお金を出して買った物(人によっては知人や親から受け継いだ物)であり、自分の所有物であります。一方で、私の中では『多くの愛好家の中で自分が保管している物』との感覚があります。
 ですので、今は探せば簡単に(金額的にも)手に入りやすい物でも、無碍に扱って損傷させたくないという気持ちがあります。


 自分が残したいと考える物は、自分が自分の手元に残したいと思えるから買った物とも言い換えられるので、このような感覚は関連性があるのかもしれませんね。

(あまりに『残したい気持ち』が先行すると使えなくなってしまうので、そのあたりのバランス感覚は必要となるでしょうが…)


〇『残る』ということ


 残そうと思って残す物や、結果的に残る物は、同じように見えて少し異なる側面があります。残すにしても、製作者や元の所有者の名が残るパターンと、成果物だけが残るパターンがあります。
 私は、名は残らなくても良いと考えていますが、自分の携わった物や、自分が大切に思う物が残ってくれればそれでよいと感じています。

 取り留めもないですが『残る』ということについて考えた数日間でした。




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