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2019年4月14日日曜日

ファッションの観点から個性を今一度考える

最初に書いておかなければならないことは、これは極めて個人的な考えのまとめであって、私がファッションを通じて個性と向き合った結果のお話だということです。
当然、反論もあるでしょう。
反論などありつつも読んでいただいた方々の中で、もう一度ファッションや個性について考えるきっかけになれば、と思います。

話は、先日、職場に来た営業さんが、シンプルながら非常にバランスが取れてオシャレな服装にまとめていたことから始まります。

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☆本日の時計

・セイコードルチェSACM171(友人が購入)



〇シンプルと個性的の共存


 その営業さんは、グレーベースで薄く細かいチェックのスーツに、グレンチェックのウールのネクタイ、白く織り柄の無いプレーンでレギュラーカラーのシャツ、カフスもシンプルなスーツスタイルでした。そのシルエットは、タイトすぎずに細身の身体にフィットしており、それにマッチするようにやや細身のラペルで、それに合わせたネクタイ幅となっていました。右手にはアップルウォッチ。
 私がここまで覚えているのは、その方のスーツスタイルがシンプルながら極めてバランスが取れて、個性が現れていると感じたからでした。それなりに長身の方で、袖丈などもピッタリでしたからオーダースーツでしょうか? そうでなければ色々と探して合わせたのでは?と思われます。


 私の思う個性とは、自分の体形や性格、もしかしたら業種を含めてよく観察して考察して、それをスタイルに落とし込んだ結果生まれてくる、現れてくるものだと考えています。

 この観点から見ると、この方は電子部品関連の営業さんで、アップルウォッチを使うこともバックボーンも良くマッチしているように思いますし、先に書いたように色や形状のような分かりやすい変化を追わずに、見方によっては無難にまとめているように、見方によっては非常にエッジの効いたバランスに落とし込んでいて素晴らしいと感じます。

 要するに、私はシンプルと個性的は共存しうると考えるわけです。



〇個性的という言葉の独り歩き


 『個性的』という言葉を前にすると、ファッション関連において『人とは違うこと』に重点が置かれ過ぎているように感じます。人とは違うことが個性的であるかもしれませんが、個性的であることは人とは違うことの必要条件ではあるが十分条件とは違うと感じます。
 また、人とは違うスタイルであることが、一種の評価指標のように語られていることにも疑問を感じます。(個性を隠すことが求められているとかそういう話ではなくて、あるレベルをクリアした上で、人とは違うことがファッショナブルなのか?という問題)
 たしかに、本当に自分の着たいスタイル、自分に合ったスタイル、自分のなりたい姿を追求すると、他の人には見えていない何かや感覚を掴みとって、人とは違うスタイルを確立して個性的となるということはあっても良いと思っています。しかし、繰り返しになりますが、個性的であろうとする手段として人とは違うものを選択することは、本質的に個性的なスタイルに近づいているとは私には思えないのです。

 当然、異論はあることでしょう。



〇一度、ファッションに目を向ける


 ファッション、もしくは普段着る服装には様々な役割があります。リラックスする服装、動きを重視する服装、自分の好きな物を着て楽しむ服装、人と会う服装、パーティーなどに出る服装。色々です。

 私は普段、全身グレー(だけど微妙に色味が違う)のヴィンテージワークスタイルとか、トラッドスタイルとか、ミリタリーとか色々です。ヴィンテージワークスタイルの紹介が少ないのは、説明が面倒なので避けている感じです(苦笑) これらは、自分の体形にマッチしたブランドで、肩幅も広めでガッチリとした体系に合うと個人的に考えていることや、道具としての服装という観点や世界観が好きだから、というのがあります。
 一方、人と会う時や、初見の(でもお世話になりそうな)お店に行くときは、かなり無難なジャケットスタイルを、ミリタリーやアウトドアスタイルなお店にはそんな感じで、というようにテイストを合わせるようなこともあります。
 この観点で見ると、単にTPOに合わせるというよりも、自分の着たい物や好きなスタイルでまとめ上げている状態と、相手の環境に合わせたり、相手からの第一印象を調整したい状態とに明確に切り分けていると感じます。これはある意味、私らしい一面だなと改めて感じている次第です。

 このように、ファッションには色々な側面があり、場面によってそれを切り替えたり、様々な側面というか領域を出し入れしたりするという類の物ではないか?と考えるわけです。これが難しくもあり楽しいことなのですが。

 ここで言いたかったことは、ファッションを『自分の着たい物を着る』VS『無難にまとめる』という二極構造とするのは無理がある、という点です。







〇もう一度個性に目を向ける


 一度ファッションに目を向けて、『自分の着たい物を着る』VS『無難にまとめる』という二極構造とするのは無理があるとわざわざ述べたのには理由があります。それは、人とは違うことが個性的だという考えの強そうな文脈においては、『無難にまとめるのが悪手で、自分の着たい物(つまり人とは違う物)を着るべきだ』という主張を見ることが多いように思うからです。
 別に統計を取ったわけではありませんが、ウェブサイトに記載された時計の売り文句を見るだけでも、奇抜で突飛なデザインの(失敬)腕時計に対して、『この時計ならスーツスタイルに個性が光る』などと書かれているものがいかに多いことか。まるで極めてシンプルな物に個性が無いような印象さえ受けます。

 いや、一応言いますが、それらのデザインが自分を表現する、もしくは自分を構成する要素として必要だと考えて選ぶのであれば、それは誰に文句を言われる筋合いもないです。同じく、その時計などのアイテムが好きで選んでいるのであれば、それは良いことだと考えています。
 私が言いたいのは、どこからか切取ってきた個性らしきものを添えるために、特別なアクセントのある品を身に着けるのは違うのではないか?と申しているにすぎません。さらに言うならば、個性って何だろうか?どうやって表現すればよいのだろうか?と迷っている人に、甘い言葉を投げかけるのは辞めませんか?ということです。
 ただ違うことを追い求めるよりむしろ、控えめで実直な性格の人が、一見無難ながら、体形に合って素材も良いシンプルなコーディネイトを選んでいる方が、よっぽど個性的であるようにも感じます。



〇最後に


 私は、ファッションの基本は自己の客観的評価や理解であると考えており、個性もまた同じと考えています。ですので、ここまでの論旨を読んで、確かにそうだとか違うとか考えるのも、ひとつの個性との向き合いだと考えています。そのきっかけになれば十分です。
 一方で、その自己の理解とファッションや個性の検討とは違うものだと考えている人には全く共感が得られない内容だったかと思います。少なくとも、ファッションや個性に、一本の筋があることは重要(筋や軸の無い個性は個性とは言わないのでは?)と思いますので、各個人で別のアプローチや論拠でバックボーンを持っているのであれば特に言うことはございません。


 途中で、極めてシンプルな物でも自分にマッチしている物は個性的でありうると書きました。先日、実直で真面目な友人にセイコードルチェSACM171を紹介したところ、彼は熟考の末に購入しました。それは彼の雰囲気と腕のサイズに非常にマッチしており、彼の個性を良く現した物だと感じました。そういうマッチした選択が皆様にも訪れますように。そうなっていただければ、この記事を書いた甲斐もあったってもんです。




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