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2019年4月25日木曜日

平成の世に何か書き残しておこうという日記

実に平成らしくない昭和っぽい組み合わせですが、随分と長い間お世話になった平成ですので一言ぐらい書き残しておこうなどと。



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☆本日の時計

・セイコー サードダイバー復刻 タートルSRP775




 年号が令和に変わったところで何かが劇的に変化するわけではありません。が、振り返ってみれば平成はこんな感じだったと語られ、令和はそれとは異なると語られる日が来ることでしょう。それが時代の移り変わりというものだと思います。

 
 私は2019年4月現在で34歳の昭和生まれですが、記憶は全て平成のものと言って良いでしょう。しばらくは平成の内に生産された食品を食べ、平成の内に産み出された音楽を楽しみ、平成あるいは昭和に生産された時計を身に着けて生活するはずです。
 徐々に令和に産み出されたもので満たされてゆくにつれて、真の意味で時代が変わった、ということになってゆくのでしょうか。おそらく、私が2000年代となった後に1990年代について懐かしんだ気持ちよりも強い哀愁を、平成を思い起こすことで感じるのではないか?などと予想しています。


 少なくとも明治以降初めての生前での譲位は、天皇陛下の意向を元に話し合いが進められたことがスタート地点になっています。現在の政府や役所の役割が決まったのちには無かった『前例のない取り組み』なわけで、こういうものは日本では避けられることが多いと感じています。

 しかし、今回はそれが為った。これは意向が強かったことや、メリットが大きかったことが要因だと考えられますが、それにしても、話し合いによって新たな枠組みが作られたことは大きいと感じています。


 すべてに結び付けて語ることには無理がありますが、令和の時代は社会全体が『発言や意思表示を黙殺するのではなく、受け取ってフラットに話し合って、良い結論を導き出せる社会』になればよいな、などと感じている次第ですが…

 勤め先の会議を見る限り、なかなか難しそうです…





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